元々全然社交的ではないので、時々人とお喋りするのが至極苦痛になる。
ネットでもその傾向があって、わいわい盛り上がっているところに自分が入って行くと水を差すようなことになるんじゃないかな?とか思うと、上手に入って行くことができない。
最近はそういうことがあまりなくなってきたと思っていたけど、ここのところ、またそういう病気が出ているようです・・・
こういう時には見ない、聞かない、言わない・・がお利口なのでしょう。
普段のときならいいけど、これが11月の彼の来日の時に当たってしまうと、4年前のようなことになっちゃうんだろうなーー;
それが一番怖い。
それにしても、ドンジョの演奏に様式美を求めるのは、もはや不可能なんだろうか…魅力のない声に過度に誇張された表現、歌はズルズルで崩しまくり。
これが現代のトレンドなんだろうか。だとすれば、もう時間とお金をかけてわざわざ飛行機に乗って聴きに行く価値も見いだせない…と思うのは、私の頭が固いせいだろうか?
歌も演技も演出も、「様式や伝統を壊して新しいものを築く」ことが美化される傾向にありますよね。
個人的にはそのうち揺り戻しが来ると思います。
「様式や伝統を壊して新しいものを築く」発想自体が、既にマンネリズム、この思想の最も忌むべき姿に陥っているからです。ドラマに寄り過ぎた歌は、やがてまたドラマを離れて歌に寄って行くような気がします。これまでのオペラの歴史がそうであったように。
Basilioさん:
あらやだ!!夕べ鬱々した気分で書いて「どうせ人の目にも留まらないだろう^^;」と思ってたら(笑)
ありがとうございます〜〜
>「様式や伝統を壊して新しいものを築く」発想自体が、既にマンネリズム
同感です。私がオペラを見始めた10年ぐらい前が一番ピークだったような気がします。そしてその頃は、その発想に基づいた演出に心酔しましたけど、最近はもう「また焼き直しか〜〜」的にしか思えなかったのも、要するにそういうことなのかも。
ここでぶつくさ言っているのは^^; つい最近某有名音楽祭で上演されたものをネットで少し観て思ったことですが
(この「居ながらにして最新のものが時を置かずして手軽に観られる」というのも有難い反面、何かを失っている気もするのです。。。)
5月にベルリンで観て来たドンジョも同じようなことを感じたので・・・
http://valencienne-tea2013.blogspot.jp/2014/06/140527.html
ちょこっとヒスヲタ入っている身としても(笑)「60年のザルツはシエピのドンジョだったのよねえ」とか「50年前のベルリンはF=Dのドンジョだったのよねえ」とか、そういうものと比べるのも愚かしいとは思うんですが、
オペラはクラシックですからねえ。歌付きのアクロバットを観たいわけじゃないねん!!と思うことが増えてきました。
でもそういう動きをして歌う歌手が聴衆の支持も得ているのですよねえ。。。
エスポージト自体は(そこまで聴いてる訳ではないですが)悪い歌手だと思わないのですが、そういう演出だとちょっと…ですよね^^;
僕も歌に障るような演技をさせるのはオペラでは御法度!と思っている口なので、早く揺り戻さないかなあと思っていますw
読み替えはよっぽどうまくやれば(そしてその作品を自分がよく見込んでいるものであれば)面白いと思うんですがね~なかなかそういうヒットには出っくわさないですよね。
Basilioさん
あはは、ちゃんと現代の旬の歌手も押さえていらっしゃるのが素晴らしい!
エスポージトは来年来日しますね。けっこう話題になるかと思いますが。
最近は演奏会形式の方が良いんじゃないかとさえ思いますけど、いつどこで、どんな発見があるかもしれないし…と思うと、たまの劇場通いも止められないのであります^_^;