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肩の力が抜けてきたのは

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元ネタは

35歳を超えたとき、捨てるべきもの、残すべきもの
突然ですが、私は40歳前後くらいのタイミングで、がくっときました。なにが、がくっときたかというと、体力とか気力とか、そういうものです。疲れがとれにくくなったし、集中して原稿を書ける時間が短くなってきたし、寝ないとてきめんに体にくるようになったし、30代のときのペースではとてもじゃないけれど働けない。 でも、私は書籍ライターとしてのデビューが38歳になってから、と、めちゃくちゃ遅いので、人一番働かないと、ひとかどの仕事はできないんじゃないかって、そんな焦りもあって。  …

(紹介して下さってる@marie__100 ‏ さんは最近バレットジャーナルのご本を出版された方。

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中国語学習者としても名を轟かせておいでで、言語は違えども外国語学習者という観点からも、ゆるっとツイッターでお付き合いして頂いてます。いつも刺激的なツイート&今回もアンテナに引っかかるお題の提供、ありがとうございました😊)

個人的には「いやいや、35で捨てるべき、残すべきものを決めるのはまだ早えよw」と思う気持ちが冒頭のツイートのきっかけになったんですが;

私が35の時って、アメリカ駐在妻を満喫してた真っ只中の頃。

Valenciennes Traeumereien
私の人生のスパイス:愛と勇気と、愛しい声と。別館:ロシア人バス歌手アレクサンドル・ヴィノグラードフのファンサイトもヨロシクお願いします Copyright ©Valenciennes Traeumereien 2004-2015

物的、空間的にも豊かなアメリカンな生活で

手放すとか断捨離とか「捨て」に関しての発想は私の辞書になかったなあ。
日本に帰る時には色々捨てないと、家に入りきれないかも…という、漠然とした不安はあったけど、それは決してストイックな思想からではなく、単純に物理的な問題から。

帰国して、生活環境が激変する中でも欲しいものはどんどん出てきました。ツイートに書いた37の時というのは、ちょうど帰国して1年経ち、仕事(前職の首都圏某公立図書館でのパート)も面白くなってきて、

同時期に自分のご贔屓さんの来日公演も控えていて(別に相手に見初めて貰えるわけでもないのに)綺麗になりたい、美しくなりたいという気持ちが、それまでの人生でも一番強かった頃。

私の「欲しいものだらけだった・・」というのは、物欲とそういう気持ち(=綺麗になりたい)も含めて、ということ
(決してキャリアウーマンのように、仕事も家庭もバリバリと、という意味ではないですよw)

自分へのご褒美という言葉も流行っていて、化粧品や下着に関して、自分の持ち分以上の背伸びをしたけど、あの頃の背伸びは確実に今の自分を作り上げていて、お金もかかったけど^^;決して無駄ではなかった・・と自負しています。

「35歳をこえたとき〜」の著者の方がブログで「40歳を超えた辺りから、体力、気力が・・」と書いてらっしゃいますが、
自分でそれを自覚したのは42の時。原因不明の湿疹に悩まされ、集中力は低下するわ、ちょっとしたことでも疲れを覚えて、すぐ風邪を引いたり。
それでも「美しい私」は欲しくて、キツイながらも上を見ていた気がします。

肩の力が抜けてきたのは、2年位前・・45を過ぎた辺りからでしょうか。オットが好きなことがしたいと定年一年前に依願退職し、
それまでは漠然と「(夫が)退職したら京都や奈良に住んで、お寺、遺跡巡りを満喫したい」と思っていたことが、実際にやろうと思えばやれるとこまで、近づいたきた気がしました。

でもまだ私は、自分の仕事場、これまで培ってきた生活の場を離れることに抵抗があり
(しがないパートの身分でも、年に一度はまとまった休みを取って、海外へ趣き、ご贔屓さんの歌を聞いてくる・・・という半ば「行事」と化した遠征旅行の敢行に喜びを感じていたのも大きい)
ぐずぐずしていたんですけど、職場の状況が徐々に負の空気を帯びてくる中で「10年頑張ったら、辞めてもいいかも」という気持ちに傾き・・・

それで昨年、ちょうど勤続10年経ったところで退職したのですけど。

今年の3月頃=無職の利を活かしたほぼ2週間のドイツオペラ旅の頃は
自分に全く自信が持てない時期で、何をやるにしても、どんな人と接するにしてもオドオドしてたし、魔物のような何かに、勝手にがんじがらめになっていた気がします。
現地在住の友人二人にそれぞれ、ベルリンとハンブルクでアテンドしてもらったので気持ちも緩んでたのか、友人の前で涙を流す場面もあったり^^;(あの時はお世話になりました(_ _))

この頃はまだ住居が定まらない、先が見えない不安もあったのかもしれません。人と比較しまくって、落ち込んでいたのもこの頃がピークでした。
「そんな風じゃ疲れちゃうよ、そんなに人と自分を比べなくてもいいんだよ」と背中を押してもらえたのもこの時でした。
それでもすぐに「はいっ、頑張ります」とはいかず・・なんか、なーんかぐだぐだしてました。

大家さんや周辺環境に恵まれた借家にすら飽和状態、行き詰まりを感じてました。大きな家というのは、とにかく維持管理だけでも膨大な神経、体力を消耗します。
掃除が好きな82歳の母が、だんだん掃除が辛くなってきた・・・と言い、
自分達もこれから年をとるに連れ、大きな空間、多大な持ち物は自分達が苦しくなるだけ・・生活をスリムにして、リセットして新天地で生活を始めたい・・と、心から思いました。

7月頃からかしら、なんでかわからないですけど、すーっと肩の力が抜けてきた感じがしました。体調は絶不調だったんですが、精神的にはかなり落ち着いてました。
9月に、奈良と京都の県境の今の公団に住むことを決めた時には、私を苦しめていた不安のタネは、すーっと全て消えていた気がします。

引越し作業の中で、物理的に相当数の捨てるもの、残すもの・・の取捨選択をやりましたが(住居スペースがそれまでの3分の2になるため、必然的に減らさざるを得なかった。洋服、オペラのCD,DVDの類も相当処分しました)まだ捨てられたかな・・^^;
「とりあえず取って置こう」が、家族の中で一番少ないのは私ですが(そのくせ、家族の中で一番の物持ちだと思われているw)
そんな私でも、まだ「とりあえず・・」と思ったものはありますし、これ絶対捨てられない!残すんだ!と思ったものも沢山ありました。

同じ作業を、12年前にアメリカから帰国する時にはここまでスムーズにできなかったです。家が小さくなるという点においては、今回の非ではなかったですし、ゴミ捨てだってアメリカの方がうんと楽ちんだったから、捨ててこられたはずなのに。

結局、捨てるもの、残すもの・・と決めることができるのは、ある程度人生経験を積んだ後でないと無理。欲しい欲しいが勝っている時はまだまだ。

肩の力が抜けてきたな・・・と、自覚した後でないと、何らかの歪が生じるんじゃないかな?
となると、35やそこらでそんなん決めるのは不可能ですよ。まだ人生経験が甘いです。欲しい気持ちが高待っている時には、可能な限り手に入れておく。それは「苦労」(気苦労なども含めて)も同じかもしれません。

人は、苦労していない人を「あの人は悩みもなくて、恵まれていていいわね」と羨みがちですけど(私も全くその通りでしたw)

ある程度、人生経験値を高めるためには苦労は必要です。
人との交渉能力、謝罪能力、危機に陥った時とっさに計算するとか。ウソのつき方でさえ、苦労から生まれる経験です。直ぐバレるような下手なウソならつかないほうがまし。

若い時に限らず、いつだって苦労
(人間関係、仕事、美容。。どこにでも苦労のタネはあります!苦労という言葉の響きが嫌ならば、困難とか別の言い方はあるでしょう)
は買ってでもしろ!です。
背伸びするために借金をこさえたとしても、確実に自分に戻ってくる投資だと思えば、返済能力も自ずとついてくると思います。(但し限度があるw)
撒いたタネは自分に必ず、戻ってきます。

あとはね。
恋愛。。。というか、無我夢中で心の底から人を好きになること…も大事かな。
ううん、それが「人」ではなくても、モノとか場所でもいいのかも。
(あの人が)好きだ(あの人が)欲しい(あの人を)愛しく思う・・・という気持ちは、確実に自分を高めます。

そういえば引っ越す直前にパスポートの切り替えを済ませてきたんですが、10年前の写真よりも、シワも増えて顔がたるみがち、白髪交じりの今の写真の方がキレイだ、ワタシ・・と思えたので、
それだけ、自分に自信がついた結果だと信じています。

何が言いたいのかよくワカラン記事になりましが^^; 2週連続で台風が近づいている日本列島ですけど、何方様もよい週末を :)))

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